「社内ネットワークにいるから安全」「VPNで接続しているから大丈夫」。こうした前提で社内システムを運用している企業は、まだ少なくありません。しかし、リモートワークの普及やクラウドサービスの活用が進んだ今、従来型の境界防御だけではセキュリティを守りきれなくなっています。
この課題に対する答えが「ゼロトラスト」です。この記事では、ゼロトラストの基本概念から従来型セキュリティとの違い、具体的な導入ステップまでを現場で使えるレベルで解説します。

ゼロトラストとは?なぜ今、注目されているのか
ゼロトラスト(Zero Trust)とは、「ネットワーク上のすべてのアクセスを信頼しない」というセキュリティの設計思想です。2010年にForrester Research社のジョン・キンダーバグ氏が提唱し、その後NISTがSP 800-207として体系化したことで世界中の企業に広まりました。
従来の「境界型防御」は、ファイアウォールやVPNで社内外の境界を固め、内部に入ったアクセスは基本的に許可するモデルです。一方、ゼロトラストは内部・外部を問わず、すべてのアクセスを毎回検証します。
この考え方が注目される背景には、企業のIT環境の変化があります。
・リモートワークの定着: 社員が自宅やカフェから業務システムにアクセスするため、「社内ネットワーク=安全」の前提が成り立たない
・クラウドサービスの普及: Microsoft 365やAWSなどクラウド上にデータが分散し、社内ネットワークの「境界」自体が曖昧になった
・内部脅威の増加: 標的型攻撃で社員の端末が乗っ取られたり、退職者アカウントが悪用されたりするケースが増え、内部からの攻撃が現実的な脅威になった
・サプライチェーン攻撃: 取引先や委託先のネットワーク経由で侵入されるケースが相次いでおり、自社だけ守っても不十分になった
つまり、ゼロトラストは「新しい流行」ではなく、現代のIT環境に合わせた合理的なセキュリティモデルです。
境界型防御の限界を知る
従来型の境界型防御がなぜ限界を迎えたのかを整理します。
| 境界型防御の前提 | 現実の状況 | リスク |
|---|---|---|
| 社内ネットワークは安全 | マルウェア感染や内部不正が発生する | 侵入後の横展開(ラテラルムーブメント)が容易 |
| VPN接続すれば安全 | VPN機器の脆弱性を突かれる事例が多発 | VPN経由で社内ネットワーク全体にアクセスされる |
| データは社内サーバーにある | SaaS・クラウドストレージにデータが分散 | 境界の外側にあるデータを保護できない |
| 社員の端末は管理されている | BYODや個人端末からのアクセスが増加 | 未管理端末からの侵入リスクが生じる |
境界型防御は「城壁で街全体を守る」モデルです。城壁を突破されると被害が一気に広がります。一方、ゼロトラストは「建物ごとに入退室管理をする」モデルであり、侵入されても被害を最小限に抑えられます。

ゼロトラストの基本原則
NIST SP 800-207で定義されたゼロトラストの考え方を、現場で使える形に整理すると、以下の原則に集約できます。
1. 常に検証する(Never Trust, Always Verify)
すべてのアクセスに対して、認証(誰であるか)と認可(何を許可するか)を毎回実施します。過去にログインしたことがあるから、社内ネットワークにいるから、という理由でアクセスを自動的に許可しません。
2. 最小権限の原則(Least Privilege)
ユーザーやアプリケーションには、業務に必要な最小限のアクセス権限だけを付与します。たとえば、経理部門のスタッフが開発サーバーにアクセスする必要はないため、そのアクセスは最初から許可しません。
3. 侵害前提の設計(Assume Breach)
「すでにネットワーク内部に侵入者がいるかもしれない」という前提でセキュリティを設計します。侵入を防ぐだけでなく、侵入された後に被害を最小化する仕組み(マイクロセグメンテーション、異常検知など)を組み込みます。
4. 継続的な監視と動的な判断
一度認証が通った後も、アクセス元のデバイスの状態やユーザーの行動パターンを継続的に監視し、異常が検知された場合はリアルタイムでアクセスを制限します。たとえば、ふだん東京からアクセスしているユーザーが突然海外からログインした場合に追加認証を要求する、といった対応です。
具体的な導入ステップ
ゼロトラストは「製品を1つ買えば完了」というものではありません。段階的に導入していくアプローチが現実的です。
1. 資産の可視化と棚卸し
まず、自社のIT資産を把握します。どのサーバーに何のデータがあるか、どの端末が社内ネットワークに接続しているか、どのクラウドサービスを利用しているか。守るべき対象を明確にしないと、何をどう守るかの判断ができません。
# 棚卸しで確認すべき項目の例 # - 社内サーバー一覧(OS、用途、管理者) # - クラウドサービス一覧(契約、管理者、保存データの分類) # - 社内外からのアクセス経路(VPN、直接接続、SaaS) # - ユーザーアカウント一覧(Active Directory等から抽出) # - 管理外デバイスの有無(BYOD、IoT機器)
2. IDとアクセス管理の強化
ゼロトラストの中核はID(アイデンティティ)管理です。「誰が」「何に」「どの権限で」アクセスしているかを一元的に管理できる仕組みを整えます。
具体的には、以下の対策から着手します。
・多要素認証(MFA)の導入: パスワード+SMS・認証アプリ・生体認証など、2つ以上の要素で認証する。ID管理の強化として最も費用対効果が高い
・シングルサインオン(SSO)の導入: Microsoft Entra ID(旧Azure AD)やOktaなどを使い、1つのIDで複数のサービスにアクセスできる環境を作る。同時にアクセス制御の一元管理も実現できる
・権限の見直し: 全ユーザーのアクセス権限を棚卸しし、不要な権限を削除する。退職者アカウントが残っていないかの確認も忘れずに行う
3. ネットワークのマイクロセグメンテーション
従来のフラットなネットワーク構成を見直し、業務単位やデータの重要度に応じてネットワークをセグメント(区画)に分割します。セグメント間の通信はファイアウォールやアクセスポリシーで制御し、たとえ1つのセグメントが侵害されても、他のセグメントには横展開できない構成にします。
# マイクロセグメンテーションの考え方 # [経理部門] --- [ファイアウォール] --- [開発部門] # [顧客DB] --- [ファイアウォール] --- [社内ポータル] # 各セグメント間の通信は最小限の許可ルールで制御
4. エンドポイントの保護と監視
PCやスマートフォンなど、アクセス元の端末(エンドポイント)のセキュリティ状態を確認した上でアクセスを許可します。OSのパッチが適用されているか、セキュリティソフトが稼働しているか、ディスク暗号化が有効か――これらの条件を満たさない端末からのアクセスは制限する仕組みです。
EDR(Endpoint Detection and Response)を導入すれば、端末上の不審な挙動をリアルタイムで検知し、感染端末を自動的にネットワークから隔離するといった対応も可能です。
5. ログの集約と分析
すべてのアクセスログを1か所に集約し、異常なアクセスパターンを検知できる仕組みを構築します。SIEM(Security Information and Event Management: セキュリティ情報・イベント管理)を活用すれば、複数のログソースを横断的に分析し、単体では見逃しやすい異常を発見できます。
中小企業でも今日からできること
ゼロトラストは「全か無か」ではなく、段階的に取り入れられます。予算が限られた中小企業でも、以下の施策から始められます。
| 施策 | 内容 | コスト |
|---|---|---|
| 多要素認証の有効化 | Microsoft 365やGoogle Workspaceなど、すでに利用しているクラウドサービスのMFA機能をオンにする | 無料 |
| アカウント棚卸し | 退職者・異動者のアカウントを確認し、不要なアカウントを無効化する。定期的な棚卸しルールを決める | 無料 |
| 権限の最小化 | 全員に管理者権限を付与していないか確認する。業務に不要な共有フォルダのアクセス権を見直す | 無料 |
| 条件付きアクセス | Microsoft Entra IDの条件付きアクセスで、未管理デバイスや海外IPからのアクセスを制限する | ライセンスに含む場合あり |
| VPN依存からの脱却 | SaaS型のリモートアクセスサービス(Cloudflare Access、Zscaler ZPA等)でVPN機器を減らす | 月額数百円/ユーザーから |
特に効果が大きいのはMFAの導入です。MFAを有効にするだけでアカウント侵害のリスクを大幅に低減できます。すでに利用しているクラウドサービスの管理画面からオンにするだけなので、追加コストなしで今日から始められます。
よくある誤解と注意点
【注意】「ゼロトラスト製品を導入すればゼロトラストになる」は誤解
ゼロトラストは特定の製品ではなく、セキュリティの設計思想です。ベンダーが「ゼロトラスト対応」と銘打った製品を販売していますが、1つの製品を導入するだけでゼロトラストが実現するわけではありません。ID管理、ネットワーク、エンドポイント、ログ分析――複数の要素を組み合わせて段階的に構築するものです。
【注意】「ゼロトラストなら境界防御は不要」ではない
ゼロトラストは境界型防御を否定するものではありません。ファイアウォールやVPNが不要になるという意味ではなく、「境界防御だけに頼らない」という考え方です。境界防御はゼロトラストの多層防御の一つとして引き続き機能します。
【注意】「まず全体設計を完璧にしてから着手する」は遠回り
ゼロトラストの導入で失敗しがちなのは、最初から完璧なアーキテクチャを設計しようとして動けなくなるパターンです。MFAの有効化やアカウントの棚卸しなど、効果が高くすぐに着手できる施策から始めて、段階的に拡張していくのが成功の鍵です。

本記事のまとめ
ゼロトラストは「すべてのアクセスを信頼しない」設計思想に基づくセキュリティモデルです。導入は段階的に進めるのが現実的で、コストがかからず効果が高い施策から始めましょう。
| 対策 | ゼロトラストの原則 | 優先度 |
|---|---|---|
| 多要素認証(MFA)の導入 | 常に検証する | 最優先 |
| アカウント棚卸し・不要権限の削除 | 最小権限の原則 | 最優先 |
| 条件付きアクセスの設定 | 常に検証する / 動的な判断 | 高 |
| マイクロセグメンテーション | 侵害前提の設計 | 高 |
| EDR / SIEMの導入 | 継続的な監視 | 中(段階的に) |
VPNの仕組みや安全な利用方法については、本サイトの「VPNとは?仕組み・種類・安全な選び方をわかりやすく解説」で詳しく解説しています。ゼロトラストへの移行を検討する際の参考にしてください。
Linuxサーバーのアクセス制御やfirewalldの設定については、姉妹サイトLinuxMaster.JPで詳しく解説しています。ゼロトラスト環境でのサーバー運用にも役立つ知識です。
自社のセキュリティ、境界防御だけに頼っていませんか?
ゼロトラストの導入は、まず現状を正しく理解するところから始まります。
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